呉堉田さんの祖父母である呉義垣夫婦は、1969年に呉家を率い、第一全成戯院を引き継ぐことを決め、全美戯院に改名しました。街の年配者にとっては、全美戯院は洋画の上映という功績を打ち立てたというイメージを持っています。また、これにより市場にて認知されることとなった戯院です。
三代目の呉堉田さんは政治大学で民俗学を学び、卒業後はイギリスで「生態博物館学(Eco-Museum)」を学びました。幼少期から映画館で育った彼は、チケット販売、チケット確認から売店に至るまで、どれも彼の管轄範囲でした。全美戯院は当初の通常の映画館から二番館へと形態を変え、薄利多売により映画ファンに恩恵をもたらしました。幾度かの形態の変遷を経て、現在では映画の上映以外にも、多くの役割を持つ公演スペースとなりました(コンサート、サイン会、パフォーマンスステージ等)。呉さんは、全美の最大の特色は「人」の温度だと述べています。
今年の街に溶け込む探求者では、呉さんが当時の地方の賑わいと映画産業の繁栄について皆さんにお伝えします。さまざまな時代が育んだ新しい文化的価値を感じましょう。